数学して幸せを見つける

数学に取り組む事で解決の糸口を発見したり、別の見方ができるようになったり、幸せに向かう考え方を見つけよう。

1つの声掛け(いいね!その考え方)

指導と評価の一体化とよく言われる。

私は、指導と評価の一体化を象徴するのが、この一言だと考える。

「いいね!その考え方」

教師からの発問や課題提示に生徒が発言やノートに書き記したものに対して、

いいね! の評価

その考え方 その考え方を吟味や広くシェアしていく指導につなげる言葉

 

成績をつけるのではなく、正しい間違っているという評価から、

間違いを分析してアドバイスをする評価、たどたどしい考えをはっきりさせていく評価

奥の深い評価だけれども、

生徒にとって、次のステップにつながる声掛けを考えることが大切かな

それが、どういう意味合いがあり、どういった側面を持つのか考える。

1つの声掛け(等式を不等式で答える)

次のことがらを等式や不等式で表しなさい。

amのテープからbmのテープを3本切り取ったら、5m残りました。

 模範解答:aー3b=5 

中学1年生で初めての演習で出てきた時に

  a>3b と書いた生徒になんと声をかけるか?

①間違ってるよ

②等式だよ

③そうきたか

④あってます。でも、問題文のすべての数字を使うとどうなりますか?

1次方程式の利用

1次方程式の利用

目標 身のまわりの問題を、1次方程式を使って解決する。

身のまわりの問題:みのまわりのものに式はあるかな?人間関係の方程式や恋愛の方程式があれば、問題は簡単に解決できる。けれども、人間関係などは式で表されずに、言葉や文章で表される。

   問題を見てみると、

◎求めたい値がある。→ わからない数(未知数)わからないから求める。

  ノート1冊の値段

   これを文字Xとする

◎文章から式(1次式方程式)をつくる

    1次方程式は【等式】の形をしているので、等式を作る

   まず、言葉の式や図で考える。(文章の構造化)

 方程式を完成させる。(文字式の表し方や数の計算は済ましておく)

◎方程式を解く

◎答えは、文章や言葉で表す。

(方程式を勝手に使っただけなので、文章や言葉にはその形で答える)

 

 

 

比例式

学校図書:比例式 P113~P115

目標 比の関係を、1次方程式で考える。

T:家で料理する人

S:はーい

T:すごいね。  (あれ、家庭科でするだけかい)

T:ハンバーグは、何で作る。

S:ひき肉、玉ねぎ、パン粉、卵、塩、コショウ、チーズ

T:いろいろなものの分量がありますね。ハンバーグのレシピ。

T:ハンバーグの主な食材はひき肉と玉ねぎここに注目しよう(ご家庭のレシピもあるけれど)100人分作るとしたら、どうする

S:100倍する

Tでは、ハンバーグと玉ねぎの比を考えよう。

s:300:90(=30:9=100:9)=10:3

T:ひき肉は、玉ねぎのどれくらいの量になりますか?

S:3分の10倍!

T:もとになるのは玉ねぎのは。(多いのはどっちひき肉。)

S:玉ねぎ×3分の10倍

 

T:そうだね、じゃあ玉ねぎが400グラムだったらどうする

S:むずかしい、割り切れない、考える

T:レシピの分量を考える。玉ねぎとひき肉に注目する。その割合を考える。

 割合、ひき肉と玉ねぎの割合、比の関係になります。

 

数字のモノサシ

数学の授業の雑談にもってこいの本だと思う。

日常生活の中で、1234567890の数字は溢れている。

部屋の中は記号かな? 

ニュースに出てくる数字は意味はよく分からなくても説得力を感じる?

この本によると、数字には3種類しかないようだ。

①電話番号や住所のような名前のようなもの

②計算に使うもの 仕事柄使うものかな

③単位のあるもの

普段使うのは、ほとんど「単位」が付いている。

確かに、ついてないものを探す方が難しいかも?

何ページ、第何巻、12月、何カロリー

 

単位は数字のチャネルもたいなもの

りんご3は、3個、3グラム、3等分‥  単位を見て頭の中を切り替える

いろんな単位が載っていて面白い!!181oms(面白さ単位)

 

数字の話がいつの間にか、「心のモノサシ」の話に

色々な「心のモノサシ」

「心のモノサシ」の性質 (心的モノサシ理論)

  ①繰り返すたびに、感じ方が鈍くなっていく

  ②モノサシは2つ同時に使えない

  ③たくさんの情報をモノサシ1本にまとめる。同時に使えないから新しいモノサシ

  ④知れば知るほど、目盛りが細かくなる

  ⑤限界を超えると、逆にどーでもなくなる

  

数字のモノサシ

数字のモノサシ

 

 

方程式の解き方

数量関係を式で表すことのできた。

等式からXの値を求める。

天秤を実際に使って、操作を行いXの値を求める。

式化にともない、実物から紙に書いた半具体物へ、

半具体物から文字とを往復しながら、抽象化を進めていく。

 

等式の性質を使った解き方は、代入はひとつひとつ値を入れていくので大変。

代入は、確かめにはいいけれど解を求めるには効率が悪い。

効率が悪いのは、どこか?  

 0にするために足す引くので、初めから書かない。つまり、移項になる。

 Xの係数を1にするために、係数で両辺を割る

 Xの係数の分母を整数にするために、分母をかける。

 

この「〜にするために、〜する』という小さいステップは大切になる。

 

方程式の解法で、目指すのは「X=数」である。

右辺が文字だけで、左辺が数だけになる。

それを目指した時、問題が出てくる。

両辺に文字の項や数の項ある。それを1つにまとめるために、移項する

Xに係数がある。係数を1にするために、係数で割る。

 

人生と同じ、目標があって達成するための必要なものがある。

そのために何をするのか?

 

バスケット部員で、「バスケが上手くなりたい」

そのためには、技術と体力をつけたい。

そのために、練習する、走る。

 

数学は思考の世界、思考の習慣を身につけさせるのも数学教育の一つと考える。

数学教育の道徳的側面 道徳的価値

 数学教育に道徳側面を見出そうとする私の動機は、「なぜ数学を学ぶのか」(本ブログ)の2つ目の目的、陶冶目的(数学教育を通して人を育てること)から出てきたものです。そして、その道徳的側面を考える上で、道徳的価値をトーマス・リコナー著「こころの教育論」(慶應義塾大学出版会)の道徳的二大価値概念「尊重」と「責任」 を根拠にしています。

 尊重とはある人、またはあるものの持っている価値への思いやりを示すことを意味しています。それは3つの形式をとります。①自己を尊重すること、②他の人を尊重すること、そして③生命のあらゆる様態を維持することを尊重することです。

 自己を尊重することとは、自分の生活と個である自分自身を固有の価値を持つものとみることです。他の人を尊重することとは、他のすべての人間を、たとえ彼らが自分の好まない人々であっても、自分自身と同じ尊厳と権利を持つものとしてみるよう求めることになります。生命全体の複雑な組織を尊重するとことは、あらゆる生命体が依存している壊れやすい生態系に思いやりのある行為を求めることになるのです。

 責任という価値概念は尊重の延長線上にあります。人は他人を尊重していれば、その人を高く評価していることになります。人を高く評価していれば、人はその人の幸福実現にある程度の責任を感じます。責任とは、他の人に注意を払うこと、他人のニーズに積極的に対応していくことです。責任という価値概念はお互い同士思いやる積極的な義務を強調します。

 これに比べて、尊重という価値概念は、否定的な義務を強調します。それは多くの場合、すべきでないことを告げます。「してはならない」という道徳の目録だけでは十分ではありません。責任倫理というものは、道徳の能動的な授与的側面をもたらしてくれるからです。ここでは、尊重という価値概念が「傷つけてはならない」と言うところで、責任という価値概念が「援助の手を指し延べなさい」と言います。「他人のことを考えなさい」という叫びが無制限にあっても、「どのくらい」「どの程度」「いつまで」という問いには答えてくれません。しかし、責任という道徳は正しい方向に人々を向かわせます。それはどんな仕方であれ、長い期間をかけて、お互いを育て合い、支え合い、苦悩を軽減し合い、この世界を全ての人にとっての良い場とするよう求めているのです。責任とは依存し合うことであって。他の人を見捨てることでありません。人は関わり合うことによって他の人を援助します。そして、そのようにしない時に、他の人に問題を抱かせてします。責任とは、持っている能力を最大限発揮し、家庭、学校、職場のいずれにあっても仕事や義務を遂行することです。

 尊重と責任の他に何があるでしょう。例えば、誠実、公正、寛容、分別、自己訓練、、援助、同情、協力、勇気など多くの価値概念があります。その中でも、授業という場におけるものに取り上げてましょう。公正とは、人を隔たりなく扱うことを求めます。寛容は、自分たちとは異なる信条の人びとに対する公正な客観的態度です。自己訓練(個性の伸長、向上心)は、自分にとって善であるものを追求する、つまり健全な楽しみを適度に追求すように人びとに語ってくれます。援助は、親切にしてあげることに喜びをもたらしてくれます。同情は、人々に責任の意味を知らせてくれるのみならず、それを感じさせてもくれます。協力は、人びとが人間生存の基盤となる目標に向かって共に働かなければならないということを、理解させてくれます。